コーチングセッションという「時間」
2021年10月16日コーチングではクライアントさんの抱える様々な課題や悩みについて共に考えます。
仕事のこと、人間関係のこと、自分の人生のこと・・・。
質問を投げかけ、いろいろお話を聴いてるうちに「どうしたいか?」「どうなりたいか?」「どうありたいか?」みたいなところにたどり着きます。
そしてさらには「自分はどう生きたいか?」「日々をどう過ごしたいか?」に行きつくことも。
さらに進んで「今、このひとときをどう過ごすか?」
そう。「生きる」とは「時を過ごすこと」ということもできますよね。
人間は「時間」を2とおりに認識しているようです。
「繰り返す」時間と「くり返すことのない」時間。
「今年も松茸の季節がやってきたなぁ・・・」「正月休みも終わって、明日からまたいつもの生活が始まるなぁ・・・」これは前者ですね。
一方後者は「一期一会。今この瞬間を大切に」「過去、現在、未来。ひと時も同じ自分は存在しない」みたいな感じ方でしょうか。
現代人は自我の確立が進み「いま、ここにいるかけがえのない自分」という存在認識のもと、どちらかというと後者についての認識が強まっているようです。
しかし、この「くり返しの利かない時間」はつまるところ「死に向かって一直線に進んでいく時間」ということになります。我々凡人にはいささか荷の重い時間観念ですよね。
なのでバランスをとる意味でも私たちにとっては「時間」を「繰り返す時間」をとして捉え、その中で過ごすことも重要だし必要なことです。
だからなのかどうなのか、我々はしばしば「繰り返す時間」を「死と再生」というメタファーで説明しようとします。
様々な宗教の、特に「秘儀」「密儀」と呼ばれるような儀式は、その儀式を境にその人が死に、新たに生まれ変わる、と位置付けられたりします。
宗教に限らず、古くから伝わる民族/民俗的な「通過儀礼」でも、子供である自分が死んで大人として生まれ変わる、といった「死と再生」のメタファーが用いられていることはよく知られています。
そして、カーニバル。一年をかけて準備してきた「ハレの場」で全てを燃焼しつくして「死に」、翌日からはまた俗なる日常生活に「生まれ変わる」。「ハレとケ」(日常と非日常)ですね。
おいおい。それがコーチングとどういう関係があるんだよ?
長くなりましたね。失礼しました。
クライアントさんと定期的に一定の時間を過ごす「コーチングセッション」はちょっとした「非日常」の時間だと筆者は考えています。
日常生活で流れている時間をちょっとだけせき止めて、普段と違う相手(コーチ)と、普段と違うテーマ(日常生活ではそうそう口には出さないような)で、普段と違う会話の流れ(質問が重要な位置を占める)で進んでいく時間。そこから生まれる深い内省や気づき、アイディア、意欲、決意・・・。それらは「非日常」な舞台設定があってこそ生まれ得るもの。
そんなふうに考えます。
コーチングセッションが終わると、クライアントさんはセッションで得たものを手にして「日常」生活に戻り、新たな日々を生きます。
そしてまた時間が経てば次の「非日常」(コーチングセッション)の日時がやってくる。
私たちコーチはその「ハレの場」をつかさどる「司祭」のような者なのかもしれません。
コーチングセッションという「時間」の位置づけについて筆者の考えを述べてみました。
(この稿おわり)
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